某
ただ、だらだらと過ごす。
川を眺めているだけの日。
時間が溶けていく。
見えているようで何も見ていない目。
安らぎを感じる。
ちょっと湿っぽい風がカーテンを揺らす。
その風を吸い込んで、自分が何物でもないことに気がつく。
そしてこんな思考もやがて風のように過ぎ去って、忘れてしまう。
ピヨ
梅田の地下街、ホワイティのすみっこに、ピヨというカレーショップがある。
今年でなんと創業60周年の老舗だ。
店内はU時のカウンター席で占められており、座席数は20。
人通りの希薄なすみっこなのに、昼時になると毎日ほぼ満席となる人気店。
それもそのはず、ピヨのカレーライスはリーズナブルでおいしい。
↑定番のチキンカツカレーは¥600
ゆで卵にかけられたケチャップがアクセントになって地味にうれしい。
ルーの味がめちゃくちゃトラディショナルな欧風カレーで、おじいちゃんの家みたいな安心感がある。
絶えず変化を続ける梅田の地下街は、一生のうちで同じ形を取ることがないアメーバのようだ。
行き交う人の流れは激しく、入り組んでいてままならないし、寄る辺のないところだと思う。
その渦中にいながらピヨは、何十年も変わらずにその空間と味を保ち続けている。
頼もしいことだ。
なのでピヨのカレーを食べるとほっとする。
↑会計後にいつもこの¥50引きチケットをくれる。ありがたや。
学生の頃梅田あたりでバイトしてたのでよく通ったピヨ。これからも通うピヨ。
ありがとう、キタのサラリーマンの胃袋を支えるピヨ。
🐥
↑こいつに挑戦してみたいピヨ。
Long Groovin'
9月14日よりクラフトビールのインポート&卸しの企業ナガノトレーディングよりMonkishの販売がはじまった。
ロサンゼルスの工業団地でその名の通り修道士(monk)のような敬虔さを以て、ひっそりとビールを作っているMonkishの製品はクラフトビアギークの中でも「神の祝福を受けたビール」と評されており、その醸造量も決して多くはないため、アメリカにおいても入手困難なブルワリーとなっている。
去年の11月にもナガノが販売していたので東京の代々木で飲んだ。
それきり俺もビアギークの例に漏れずすっかりファンになってしまった。
Monkishの醸造家、Henry Nguyenは自らのことをアーティストであり「優柔不断な完璧主義者」と表現する。
彼はビールと対話し、真摯にバランスを追求する。
少しでも自分の理想に届かないところがあるビールは捨ててしまうほどの完璧主義者。
さながら陶芸家のよう。
Henryのファンは多く、新製品の発表時には醸造所にたくさんの人が並び、みんなケースで購入していきあっという間に売り切れてしまうそうな。
彼が手がけるビールはどれも世界一と名高い。
今回も「Long Groovin' 」というCold IPAが樽で入っていたのでパイントで飲んだ🍺
シトラとモザイク(どちらもホップの品種名で共に柑橘ぽいアロマが特徴、どちらもIPAでは鉄板ホップ)の完全調和でめちゃうまだった!!
すごいぞMonkish!
5ℓはのめる…
Cold IPAとは普通のIPAと違って、エール酵母ではなくラガー酵母で発酵させたビールのことで、このスタイルが考案された当時、かなり流行っていたHazy IPAという飲み応え重視の濁ったスタイルのアンチテーゼとして産まれた、スッキリしていて飲みやすいスタイルどす。
「Cold」というのはエール酵母よりラガー酵母のほうが発酵温度が低いことに由来します。
エール酵母を使ってないため、厳密にはIPAではありまへん(ややこしい!)
なんか考案したブルワリーがマーケティングのためにIPAと銘打ったらしい。
しかしそのスタイルのコンセプトはIPAと呼ぶに相応しい。
ラガー酵母を使うことにより酵母のエステル香を抑え、よりホップアロマを引き立たせる狙いがあるからね。
モルトバランスはアメリカンピルスナーを踏襲し、お米やコーンを使用してクリスピーに仕上げる。
Cold IPA 、好きなんです。
クリアなボディの中心にホップを意識できるところが良い〜🍺
鬼伝説の鬼にハチマキIPAもよかったなあ…
もっと流行ってほしいスタイル。
IPA好きな人はMonkish見つけたら飲んでみてね、とぶぜ?
菊の花
酒を飲むと気持ちが軽くなる。
飲めば飲むほど自分の影が薄くなるからだ。
飲んでも飲まれるな、とは言うけど先っちょくらいは飲まれてたほうが気安いかもよ。
高知のお座敷遊びで菊の花というものがある。
盆にたくさんお猪口を置いて、そのうち一つに菊の花を入れて伏せてみんなでシャッフルし、どのお猪口に菊の花があるかわからない状態にしてから、一人ずつ順番にそれをひっくり返していく。
誰かが菊の花を引くまでみんなでお猪口をひっくり返し続ける。
ひっくり返されたお猪口はストックされる。
菊の花を引いた人がストック分+当たりのお猪口に注がれた熱燗を飲まなければいけない。
まさにデスゲーム。
高知にはこんな感じのお座敷遊びがたくさんあるらしい。
高知の人はみんな酒好きなんだなー。
少し前、この菊の花をダーツバーで教えてもらい連れと店員さんと4人でやって盛り上がった。
さっきインスタのストーリーズで流れてきたけど、そのダーツバーは来週閉店してしまうらしい。
それで思い出して、ブログに書き留めることにした。
菊の花はアドレナリンがドバドバ出て楽しかった🍶
闇の美しさ
「リスナーに闇の美しさに耳を傾けるよう促した」
PitchforkはSparklehorseのことをこう評した。
SparklehorseとはMark Linkous率いるアメリカのバンドで、2010年にMark Linkousの自殺によりその活動の幕を閉じる。
その実大体がMarkのソロプロジェクトで、録音もほとんどMarkが自宅で一人で行っていた。
Markの死後発表されたコンピレーションを抜くと発表アルバムは4枚だったが、今年の9月8日にMarkの弟Mattと2人の義理の妹Melissa Moore Linkousのプロデュースにより、遺作となる5枚目のアルバム「Bird Machine」がリリースされた。
このアルバムのオリジナル音源はMarkが生前Steve Albiniとシカゴのスタジオで録音を終えており2009年にリリース予定だったらしい。
俺はSparklehorseがとても好きだ。
世界で1番好きなバンドと言えるかもしれない。
Markはずっとうつに悩まされていた。
そしてその懊悩がSparklehorseの世界には反映されている。
1996年のRadioheadとのツアー中にMarkはアルコールと薬物のODで心停止状態にまで陥り、一命を取り留めたものの、半年間の車椅子生活を余儀なくされてしまう。
1998年に発表された2ndアルバム「Good Morning Spider」に収録されている「Saint Mary」は当時入院した病院の看護師たちに捧げられた曲で、ゆりかごに揺られているような、牧歌的でもの悲しい曲となっている。
歌詞はなんとも言えないカオス。
そのなかに「血まみれのエレベーターでその日最初のお茶を飲むために上がっていく」という歌詞がある。
生きることの痛烈さと安穏さが短いなかに集約されていて、とても好きな詞だ。
Sparklehorseの世界は目眩がする狂気とメランコリー。
それを奏でるMarkの爪弾くフォーキーで牧歌的な優しいアルペジオに、小川のせせらぎのようなストローク。
聴いていると、木漏れ日のあわいのメロウな白昼夢に魂が包まれる。
「Rainmaker」や「Pig」のようなアッパーなロックチューンもひねていていい感じ。
5作目のアルバムが聴けるとは思っていなかったので嬉しかった。
最初はちょっとローファイさが薄まっちゃったかな?と違和感があったものの、2回聞くとどっぷり浸かることができた。
Markの子守歌のような歌声が紡ぐフラジャイルな薄闇の世界がまた広がった。
聴いていると星空を泳ぐような心地になる「Everybody's Gone to sleep」なんかとても綺麗。
「Kind Ghosts」では「Oh,where were you,my kind ghost When i needed you」なんて歌ってて嬉しい気持ちになった!
愛してます🐴✨
https://youtu.be/xjgWvASjvqs?si=BKAqHkGKJUbIfG6v
Himself He cooks
ぼうとしてるときによく見るドキュメンタリー映画がある。
それはベルギーのヴァレリー・ベルトとフィリップ・ウィチュスにより制作された「Himself He cooks」という、パンジャーブ州アムリトサルにあるスィク教の聖地、ハルマンディル・サーヒブ、通称ゴールデン・テンプル(黄金寺院)のグル・ダ・ランガル(無料食堂)に密着し撮影した65分の映画。
その内容は、ハルマンディル・サーヒブにて300人もの奉公者(ボランティア)たちによって毎日10万食提供されているという無料食堂の活動に密着したもので、人々の敬虔さをその営みのなかに感じるものとなっている。
特にBGMもナレーションもインタビューもなく、淡々と調理→食事→清掃と推移していくだけの映画。
世界で5番目に信徒が多い宗教であるスィク教は、その成立の背景としてヒンドゥー教のカースト制の批判という面が大きいらしい。
なので食堂では階級、性別を問わず全ての人が共に調理し、同じ鍋の料理を食べる。
邦題は「聖者たちの食卓」となっている。
でも別に聖者は出てこないし、出てくる人はみな食卓もない床で食べるという環境で食事しているので、この邦題は実態に即しているとは言えないと思う。
その無料食堂は冒頭のテロップに使用されているテクスト、スィク教の聖典「Guru Granth Sahib」からの引用「現世の無私の奉公(セーヴァー)が天国での栄光を約束する」という教えのもと成り立っている。
ちなみに「セーヴァー」という言葉は日本語の「世話」の語源らしい。
HIMSELF HE COOKS HIMSELF HE PLACES IT ON PLATTER & HIMSELF HE EATS TOO
「神は食事を作り 皿に盛る そして自らも食べる」
(ランガルの入り口に掲げられている文言)
奉公者はみな、敷物をされた床に座って野菜を短刀で切り、小麦を練る。
練り丸めた小麦を投げ渡し、受け取った人が棒で伸ばす。
やがてその生地は容量よく焼かれ、たくさんのチャパティーになる。
奉公者たちは巨大な鍋でカレーを炊き、たくさんの水を汲んでくる。
そして食堂に座り配されたステンレスの皿を前に待つたくさんの人たちに提供される料理。
差し出した両の手に渡されていくチャパティー。
みんなが生き生きとそれを食べる。
食器洗いや清掃は参加者も一緒に和気藹々と作業する。
その営み、表情、沈黙、手や所作、一切に神が宿っている。
老若男女問わず大勢で座って一緒に涙を流しながら玉ねぎを刻むカットなんかとても美しい、いつも見入ってしまう。
そのほかにも、
黄金寺院の人口池で沐浴し祈りを捧ぐ人。
人が3人は入りそうな巨大な鍋を撹拌する寡黙な奉公者たち。
カメラを見つめる豊かな髭を蓄えた厳格なたたずまいの男の潤んだ大きな瞳。
食堂ではしゃぐ女子や幼児たち。
などなど、どのカットも綺麗で、作為もほとんど感じられない素晴らしいドキュメンタリー。
みんなカメラに媚びたような態度や表情をほとんど見せないのが印象的。
映画の終わりに「導師たちが無料食堂(ランガル)を始めた600年前には、カースト、性別、宗教が違えば食事の場を共有することも、同じ鍋のものを食べることもありえなかった。」
というテロップが表示される。
ボーダレスで運用されるこの無料食堂の存在自体が、インドの宗教&社会改革の役割を成しているようだ。
明け方や夜中に静かだけどカオスでなんとなく気品漂うこの映画を見ていると「調和」を感じて心が洗われる。
特に広い調理場や食堂の音の空間的な拡がりがよく捉えられていてアンビエントを聴いているときのような気持ちよさがある。
無心でぼんやり見てられる素敵ドキュメンタリー映画の紹介でした。
プライムビデオで公開されてるからプライム会員の方は是非見てくだせえ。
↑スィク教のターバンは色とりどりでとてもおしゃれ。
チベタン・マスティフ
4日前、友達の経営するバーに遊びに行った。
友達はバンドマンで漫画好きで生き物マニアでとにかく俺と趣味が合う。
その友達の奥さんも仕事終わりにそのバーでよく飲んでいて、3人で飲みながら生き物談義に花を咲かせるのがいつもの流れだ。
その日も例の如く動物園の話で盛り上がった。
神戸どうぶつ王国の犬との触れ合いゾーン「ワンタッチ」の話になり、友達はペキニーズが好きでそこにはたくさんいるのでたまらないと言う。
ペキニーズは愛嬌がありとても大人しい犬で「THE 愛玩犬」といった感じだ。
↑これは俺が昔神戸どうぶつ王国で撮ったペキニーズたち。めちゃかわいいねえ。
ちなみにペキニーズの祖先犬とされているチべタン・スパニエルは勤行犬と呼ばれていたらしい。
なんでもチベットの寺院でマニ車を回す役割を与えられていたとか。
マニ車には経文が記されていて、回せば回すほど功徳が得られるので、人間だけじゃなくて犬の力も借りてたくさん回し、功徳をどんどん積むぞ!ということらしい。
犬に功徳を積んでもらうという発想が飼い主の代わりに伊勢神宮を参詣していた「おかげ犬」と共通していて面白いなと思う。
ワンちゃんって人間に近い存在として昔から信用されてたんだなあ。
それから話の流れで、友達にペキニーズに顔が似てるけど対照的な犬としてチベタン・マスティフという大型犬がいると教えてもらった。
どれどれ、とググると完全に獅子のような巨獣の画像がたくさん出てくる。
成犬は体重が80Kg以上もあるらしい。
犬好きだけどこんなのが近所散歩してたら流石にビビるわ…
マスティフの先祖犬とされているらしいね。
そして興が乗ってチベタン・マスティフのwikiの記事の「歴史」欄を読んでいると、チンギス・ハーンが西征の際、3万頭ものチベタン・マスティフ軍団を率いていたとの記述があった。
それを読んで3人とも爆笑。
東から軍用チベタン・マスティフが3万頭もぞろぞろ行進してくるのは想像を絶する光景だっただろう、こわすぎ。
そしてさらに読んでいくとこんな文が。
また爆笑。
たぶん鳴いちゃったんだろうな。
すごいぞチベタン・マスティフ。